柏木克友の岡ようご崎ます

地元愛知県岡崎市での日々を綴ります

ひととのお別れはやはりつらい

1月13日、お通夜に参列してきました。

 

11日に訃報を聞いたところでした。

 

その方と最後に会ったのは、ひと月前の12月13日。

 

いつもと変わらない、ひとを和ませ落ち着かせる笑顔を見せてくれていた。

でも、どこか活気が・・・

それでも、パワーにあふれている空気感はやはりひとに安心とワクワクをもたらしてくれる。

 

とてもすごい方なのに、気取らず朗らかで、私なんかにも気さくに話しかけてくれる。

 

2年1ヶ月という療養期間、いつの間にそれだけの時間が経っていたのかと驚かされる。

 

ご病気がわかったことをお話しいただいたころから、少しずつ本来のお立場やお仕事から、ご自身の活動にシフトされていた。

 

元々は、お話しする機会はあまり多くなく、むしろご挨拶こそ時々するが、いろいろお話しする機会は少なかった。

 

しかし、その活動のシフトされていくにつれ、まちでお会いしたり、ランチをお隣で食べさせてもらっていろいろ話したり、これからつくられる場におじゃまさせてもらったり、私が企画してる朝のウォーキングに参加してくださったり、企画されているお家づくりに参加したり、ゆったりお話をする機会をいただいたり、他にも仕事っぽい話じゃない企てをしてみたり・・・

 

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この2年、お人柄を間近で感じながら関わらせていただく時間ができうれしかった。

 

しかし、そんなすばらしいひとにも病は容赦なく、私も当然ながら治ることを期待していたため、悔しくてたまらない。

 

まだ、62歳という若さで・・・

まだ、これからやりたいことが本当にたくさんあると聴いていた。

お聴きしたいこと、お話ししたいこともあっただけに、とても悔しい。

 

でも、昨夜、喪主をつとめた息子さんが、父が「最高の人生だった」と何度も言っていたということを喪主のご挨拶でうかがった。

また、最期にご対面が叶い、その安らかなお顔に、込み上げてくる深い哀しみとともに、どこかホッとする感情もわずかに感じた。

 

喪主を務められた息子さんも本当に堂々とつとめられていた。

 

ご挨拶されているなかで、自分自身の高校2年生のころの記憶が甦った。

私の父も癌で47歳で他界してしまった。

その時も本当に多くの方に見送られ、見守られながら喪主をつとめ、多くの方に励ましの声をかけていただいた。

その声がなんと心強かったことか・・・

 

帰り際に息子さんと故人の奥様が立たれていたため、私は、私なんかでできることがあれば、困ったときは何でもおっしゃってくださいと声をかけた。

 

自分の父の時にかけていただいた励ましやそのような言葉がとても心強く、その経験から出た言葉だと思う。

もちろん本心だ。

 

ご家族が抱えている深い哀しみや不安が少しでも早く癒えますように。

 

村瀬さん

本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

また、いつかどこかでお会いしたいです。

合掌